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ハズスルー

クイズ番組を見ていて、答えが出る前に答えを言う奴がいる。

そういうのはだいたい間違っている。

で、間違った時のリアクションがまた面白い。

「おれ知ったかぶりしてアホでした。ごめんなさい」という
潔いタイプもいれば、
「あ!そうだった!」というような、実は知っていたよ、
知っている質問だったけど、ちょっと勘違いしちゃったということを
アピールしている一生治らない頭と心の病気を抱えているタイプもいる。

そして最も興味深いのは「スルー」するタイプだ。

見栄はって間違ったけど何か?

というある種の神々しさを持ち合わせているタイプがいる。

仮にハズイ状況をスルーできるタイプを「ハズスルー」タイプと名付ける。
かっこいいぞ。ハズスルー。


先日もこういった「ハズスルー」を見かけた。

Suicaやパスモを使って今や電車や自動改札だけでなく、
バスや自動販売機やお店などでもどんどん使えるように
なっている。

ご丁寧に今はピッ!とした後にカードの残金が表示される。

全所持金ではないことは重々承知なのだが、なぜかその金額が
街中で表示される状態に非常に興味深くもあり、自分のが
表示され、チラ見されるのが結構恥ずかしかったりする。

そんな中みかけたハズスルアーは、停留所に止まったバスの中で
清算待ちの列に並び僕の前に立っていた。

20代後半から30代前半くらいだろうか。
きりっとしたメガネをかけ、非常に奇麗な服装をし
パッと見、とても仕事のできそうな感じの女性だった。

その女性がついに清算の順番が回ってきた。

取り出したるは、ブ厚いいかにも!ってな感じの高そうな
財布だった。

恐らくブ厚い財布の中にパスモなりSuicaなりが入っているのであろう。

その財布を鷲掴みにし、ちょっと大げさなロン!をする感じに
軽くスナップをきかせ、財布をピッ!とさせた。

表示された残金は40円だった。

あーって思った。
あーって。


仕事のできそうな奇麗な感じの女性が持つブ厚い高級そうな財布から飛び出した金額。

40円。

あーって思った。


その女性は何事も無いかのように、カツカツとヒールを鳴らし消えて行った。

ここ最近では一番のハズスルーだなって思った。

直帰

よくよく考えると直帰ってすごいインパクトのある言葉だなぁと思う。

「ちょっき」
口に出して10回言ってみる。

やっぱりスゴいインパクトがある。

だからか分からないが何となく言うのが恥ずかしかったりする。

そんな中、先日直帰する日があり、上司にバレないだろうと思い、
「今日外出の後、チョッキ着ます」と言ってみた。

バレた。

あうあう

Google サジェストが提供されていた。

>> Google Japan Blog: Google 検索ボックスにキーワードの候補が表示されるようになります

世の中には、たっくさんの知らない言葉や文章、検索ワードがあるということを
知ることもできてとても楽しい。

ためしに、「あうあう」と入力してみたらこうなった。
あうあう

もう、あれだ。全部が気になる。

その中で一番気になった「あうあうあ~」をクリックした。

検索結果のページを下まで眺めていたら、関連検索でこんなのが出てきた。

あうあう尻

あぁ。これもすごいよ。
どうしよう。

その中で、「尻忍者」という単語にちょっと興奮する。
しかも「あうあうあ尻忍者」ってなんなんだ。

で、見てみた。よく分からなかった。

「尻忍者」を「ケツにんじゃ」と読むことは分かった。

「あうあう」が「ケツにんじゃ」につながった。

Googleスゴイ。

優先席ってどうしてあるんだろ?

愛知県の地図があります。

aichi
こういうのです


これを見ていたら、こんな感じに見えました。


aichi_2
ウヒャヒャヒャ!


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選択と集中という言葉がある。

やることを絞り、そこに対して労力や資産を集中させ
事業効率や効果を最大化させよーぜ!というやつだ。

時間が100時間と予算が1000万円あったとする。
それを10個の事業に10時間ずつと100万円ずつを分散させるより、
2個の事業に50時間ずつと500万円ずつ投入すれば、その2個の事業の
成長を最も効率的に効果的に最大化できる。

「事業」という大きなくくりじゃなくても、日常的に
行っている仕事でも、いろんなものを平行しているのが
普通だと思うけど、うまくいかない時の理由として
かなりの割合を締めるのは、「時間が足りなかった」というやつだ。

これも、「選択と集中」という考え方からいうと、
最も効率が悪く、効果が出にくい方法だから、なるほど、と思う。


でも、これって本当にそうなんだろうか?

前は僕も本当にこう思っていたのだけど、実は最近反対のことをよく思う。

何かの効果や結果というものは、投入した時間やお金の量で決まらない、ということだ。

と、書いて何を当たり前な、と思ったんだけど、でも、そういうことは
何となく感覚として知っているのに、でも選択と集中を訴えることが多かったりする。

何かの効果や結果というものは、投入した時間やお金の量で決まらない
ですよね??

もう一つが、ある一つのことを集中してやるより、複数のことを同時並行的に
やるほうが、実は効率も効果も高そうな気がする。というかそういうことを最近実感する。

これは、脳科学者でもない僕が言えることではないし、はっきりしたことは
わからないのだけど、いろんなことが平行している方が頭が働くと言うか
なんと言えばいいのだろう、脳の中や身体の中にあるいろんなところがネットワークの
ように繋がる感じがする。

根拠も何もないのが非常に悔しいのですが、ホントそう思う。


とここまで書いて、これって電車にある優先席とかに近いなぁと思った。

選択と集中というのは、ようするに「やることをはっきりさせる。他のことは考えなくてもよい。」という状態になる。

事業に置けるTODOリストというか、ルールというか。

電車にある優先席というのも、「この席には○○の方が優先的に座れます」という
決め毎というかルールなわけだ。

この一つのルールのおかげで、あんまり考えなくてもいいし、みんなに優しい感じがする。

でもね、先日こんな人を見た。

ちょっと混んでいる電車の中で、優先席じゃないところに、高齢の方が来た。

高齢の方は足が悪いのがよくわかる。
杖もついているし、手すりにつかまりながら、座席の前に来た。

目の前の席には、若いお兄ちゃんが座っている。

その時ね、そのお兄ちゃん、
「なんでオレの前に来るんだよ。優先席あるんだから優先席のほうに行けよ。」
っつー顔をしたんです。

いや、もちろんホントかどうかわからないけど、そんな顔をした気がした。

結局そのお兄ちゃん席を立たず、違う席の人が立ち上がってその高齢の方に
席を譲りました。

これね、別にそのお兄ちゃんを責めたい訳ではなくて、なぜそのお兄ちゃんが
そういう態度に出たか、ということをちょっと考えてみたいなと思った。

何かをすっきりと整理する、分ける、決める、やることを決める、
やらないことを決める、ということは往々にして仕事の中では重要視される。

上記の「選択と集中」なんつーのもそうだろう。

でもね、そうすることで、さっきのお兄ちゃんのような人が出来てしまわないだろうか?

そのルールに安住して、想像力が不足し、優先席じゃないんだから譲らなくてもいい、
という都合の良い勝手な解釈を生む。

一見、便利そうで分かり易そうなことが、実は大きな弊害を生む。

なんだかそう言うのを垣間みた気がした。

だからね、優先席というのは無い方が絶対いい。と思うんだけどどうなんだろ。

車両のどこであろうと、足が悪そうな人には席を譲る、ということが
当たり前にならなければならん訳で。

選択と集中。

これダメな気がする。

なんだか話がそれてきてしまった気もするけど、それてないような気もするので、いっかな。

岩手の長老

知り合いの女性が岩手県の形に似ているという事実に驚愕している。

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「24時間耐久葉っぱむしりゲーム」というのがあったとする。
葉っぱを24時間むしり続けるのだ。
24時間たった段階で、一番むしった数が多い人が優勝だ。
むしるのを5分止まったらアウトで脱落してしまう。

とてもつらそうな競技だな、と思った。

でも、一番つらいのは選手じゃなくて、5分間止まっていないかどうかを
チェックしている人だ。

ということに思いを馳せる。

何人かでドライブに出かけたときに、運転手が一番疲れる、という印象があるが
実は助手席に座ってナビをしていたり、ずーっと座っている人のほうが疲れる、
ということに通じる。

主役が主役足り得ることをサポートするコト・モノ・ヒト

そんなコト・モノ・ヒト達ばかりを調べてみたい。

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今、数ヶ月かけて行う社外研修に参加さてもらっている。

毎月、泊まりの研修があり、間に面談も宿題もある。
結構なボリューム感のある研修だ。

結構な金額を会社が出してくれて、参加してみない?と声をかけて
もらったので、来たボールは全て打てるようになりたいと思っている僕は、
ありがたい話だと思い、参加させていただいてる。

そこでは、若手のリーダーの育成や将来の経営陣を育成する研修とのことだ。

毎回とても興味深く参加させてもらっているのだが、どうしても
講師の先生と意見が合わなかった箇所がある。

それは、リーダーや経営陣には「エネルギーやパワー」が必要だという
主張に対して、僕は疑問を感じてしまったのだ。

「力強さ」のようなものだと思うのだが、果たしてそれは本当に
リーダーに必要なんだろうか?

いや、正しく言うと、「力強さ」が第一義ではないように感じるのだ。

だって、野球で言ったら、エースで4番を打つような人がキャプテンを
やるべきだ、という主張と同じように感じる。

極論だけど、「太く・短く生きる」ということであれば、よいかもしれないが、
それよりも「細く・長く生きる」ということを大切にしたい場合には、
「力強さ」というのは必ずしも必要としない気がする。

キャプテンをやれる人、というのは必ずしもエースで4番である
必要な全くない。と思うのだ。

研修の講師の人とは、ここで意見がぶつかってしまう。

「力強さを持っている人」よりも、「力弱さを知っている人」のほうが
圧倒的にリーダーに向いているような気がする。んだよなぁ。

すぐにイメージが湧くのは、「長老」のような人達だ。

リーダーになるには年を取らないとなれない、と言っている訳ではなく
「長老」と言われている人達は、「力弱さを知っている」ような
気がするんだよなぁ。

だから、弱さについて考えるし、少ないパワーで効果的に継続して
生きて行ける、続いて行けるということに知恵を絞るような気がする。

「太く・短く」ではなく「細く・長く」ということを大切に
しているような気がするし、企業においてもそれは当てはまる気がする。


くるんではないだろうか?「長老ブーム」

ヘルペスハック

塩キャラメルがおいしくて、この3日ほど毎日1袋ずつ空けている。
だけど、僕の周りの人は誰一人共感してくれない。

これは、純粋に好き嫌いの違いなのか、僕が嫌われているのか。

もう少し、リサーチ(オレ調べ)をしないといけない
トッププライオリティの問題となり始めている。

こんな時に使うといいのだろうか。ライフハック?

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めったに夢を覚えていないのだけど、先日こんな夢を見た。

「ちょっとぉ~、だぁんしぃー」と叱られたい、と思った夢だ。

叱られた夢、ではなく、叱られたいと思った夢、だ。
しかも、叱られるのは「男子」であって、僕だけではない。
「僕を含めての男性数人」ということだ。

結構複雑だな、と思った。

夢が意識を持ち始めているんだろうか?

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複雑と言えば、こういうのも複雑だなと思った。

ホンモノに似せたニセモノに似せたホンモノに近いニセモノ、だ。

食品に似せた食品サンプルというニセモノに似た食品の形をしたお菓子、とか。

一回転して、同じところに止まるかと思ったら、「ほらーずれたー」と
言われるような着地点のものだ。


もしかしてどうでもいいことを書いているんではないか?と思い始めている。

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先日唇の横にヘルペスができて、けっこう目立っていた。

娘(2歳)が、気になるらしく、「どーしたのー?」と聞いてきた。
「なんだと思う?」と聞いたら、彼女の答えはこうだった。

「地震?地震?」

だった。

しかも2回も。

相当自信があったのだろう。
※うまいこと言った。と思っている。

こういった発想力を僕も持っていたいな、と思った。

これがライフハックというやつか。

「分かりにくさ」のススメ

中国、ハンパない。
って話をたくさん聞いてきた。

公然の事実として、僕らでもよく知っているような、汚職問題や
環境問題などなど、モラルもへったくれもない私腹を肥やすことのみに
命をかけている命のかけ場所を掛け違えている政治家達。

そんな話をたっぷり聞いてきた。

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「分かり易さ」ということについて、時々困惑することがある。

人が何かに対して「面白い」とか「気持ちいい」とか「欲しい」
とか感じることは、突き詰めると、非常に感覚的なものになる。

例えば、野球をやったとして、ピッチャーが投げたボールを
おもいっきり振ったバットの真芯で捉えた時の感覚というのは
なかなか言葉に表現できない。

例えば、プログラムを書いて、それが思ったように動いたときの
感動や喜びというのは、「コードを○○行書いたものが動いたから嬉しい」
というものではなく、純粋に「自分で書いたものが動いた!面白い!」
ということであって、何か言葉や数字で表現できるものでもない。

でも、そういう感覚的なことを、企画書の中では言葉や数字を使って
誰にでも分かるように表現することが、よく求められる。


以前一緒に働いていたある方に、いくつか企画書を提出した際に
こう言われたことがある。

「面白いんだけど、ロジックがねぇ」

それは、スタートからゴールまできれいにロジカルに説明できる
必要があり、それが足りない、ということだった。

つまり、1+1=2というような誰でも分かるロジックを付けて欲しいと。

早い話が誰にでも分かるように、何が良くて、どんくらいコストがかかって
そのコストをどんくらいで回収して、ここまででこんくらい儲かりますよ。

ということをロジカルに説明して欲しいと。

提案していたその企業は、大きな会社だったし、
決済に関係する方の数も多いし、年齢も幅広い。

企画書の中で、言葉と数字で関係者全員が納得できるような
そんな企画書にして欲しいということだった。

その企画については、その時点でボツにしてもらった。

なぜかというと、誰でも分かるようなロジカルな説明、
つまり言葉と数字で説明できる自信が僕にはなかったからだ。

ボールをバットの芯で捉えた時のような感覚を、
言葉と数字では表現できないと思ったからだ。

もしかしたら、それに合わせてマーケティングデータを
なんとなく都合のよさそうにデータを加工し、見え方を工夫
すればよかったのかもしれない。

その時の担当の方からも、そう言われてもいた。

でも、それはその時点で、ウソを付くことになる。

みんなそうしている、とその人は言う。

そうかもしれないけど、なんとなくイヤだったのだ。
その企画はとても大切にしたいものだったし、そこでダメでも
別のところに持って行こうと思っていた。


でもね、今思えばこれは、完全に僕の力不足だったということが
よく分かる。


誰も分からないような、思いや考えや感覚というものを
それをウソをつかずに、何かしらのカタチで表現し、
相手に伝えることができ、そして共感を呼ぶことができる人が
たくさん存在するというのを知ったからだ。

そう言う人達は、「分かり易さ」のみを重視しているのではなく
「言葉や数字でぴったりなかなか表現できないんだけど、面白い」
と思えることを、何かしらの形で分かり易く表現することができるのだ。

それが本物の技術であり、本物のアイデアであり、本物の企画力だったりする。

僕にはその「本物の○○」がなかっただけだった。

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落合博満変人の研究」という本を読んだ。


胸が、なんだか熱くなった。
熱狂的な野球少年だったが、この5〜6年くらいは全くと言っていいほど
野球を見ていない。

今どんな選手が活躍していて、どのチームが強いのかもほとんど知らない。

本当に野球関連の情報は入ってこない生活を送っている。

そんな感じの僕だが、この本を読んで野球少年だったころの
狂ったように野球ばっかりやっていた頃のことを思い出した。

また、野球に触れたいと思った。


本の内容はタイトルにもあるように、落合博満について書かれた本だ。

一般的に嫌われ者で、常にダーティーなイメージのあり、
最も監督から遠いと思われていた落合が中日ドラゴンズの監督になり、
日本一位にまでなった。

野球エリートばかりのプロ野球界において、全く異質な経歴を持ち
独自の方法で進み、周りと対立しながらもしっかりと結果を残し続けている。

そんな落合について、熱狂的な野球ファンの詩人のねじめ正一が
いろんな人達の対談や自分の言葉で詩を編んでいるような本だ。

とにかく面白かった。


人気凋落が激しいプロ野球の中で、唯一面白く見ていることが
できる落合。

異端児というイメージがあるが、実は純粋に
・投げて
・打って
・取って
・走って
という面白さの原点を大切にし、その気持ちをじっくりと育て
その中で選手達を鍛え、育てているということがよく分かる。


プロ野球は、とにもかくにも価値を決めるのが「お金」という
一つの基準だけになってしまい、お金のある巨人が大金をばらまいて
有名選手を集める。

そんな手法がまかり通っていることが、野球本来の魅力をなくし
結果として、人々は野球から離れて行ってしまう。

野球を楽しみ、野球で勝負するのではなくなってしまっているのだ。

その原因を作ったのは、落合、という印象があったが、
それはこの本を読んでみると、印象とはまた違った事実が分かってくる。

野球が本来持っている楽しさ。
それは、なかなか言葉や数字にするのは難しい。

でも、落合は自分のプレーで、そして監督として選手にそれを伝え
そして中日は強くなった。

方や他の球団や選手は、誰にでも分かり易い「お金」という評価軸が
幅を利かせ、野球の面白さ、ということは2の次になってしまった。

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本当に大切なこと、面白いことは非常にシンプルなことなんだと思う。
そして、そのことはなかなか言葉や数字に表すことは難しいことだとも思う。

その中で、分かり易さを重視し「お金」を中心にモノゴトを組み立てると
本当に大切なことが崩れてしまう。

だからこそ、言葉や数字に表すことが難しい「本当に大切なこと」を
大切にし、それをしっかりと表現し伝えることができるようなプロに
なりたい。


そして、野球の面白さ、落合の面白さという感覚的なことを、
言葉でこれだけ表現できるねじめ正一さんは、本当に本当に
言葉のプロだなぁと思った。
※お前が言うな、ではあるけど。


と、そんなことを思った一日だった、ような気がする。

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ヒトカラ=ヒトデが干涸びる

ということかと思ったら、「1人でカラオケ」のことを
「ヒトカラ」と今のヤングは言うらしい。

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木漏れ日ちゃん
R0011876


苦しくてしずくちゃんを手にした

「最近、オレの(私の)周りには変な人が多い」と言っている人は、
自分が遠回しに、個性的であること、個性的な人が自分に
集まってくるということを自慢しているのだろうか?


小さい子供同士を全部ひっくるめて「お友達」と呼ぶ保育園の先生や
保護者の人は、「友達」という言葉をなぜそんなに簡単に大量生産するのだろうか?

「全員と仲良くして欲しい」というオトナの願望からきているのだろうか?

万事無難に廻るため、何か問題が起きないため、つまり自分を守る為に、
自分が傷つかないためにそう言っているんだろうか?


部下が素晴らしい提案をしてきた時に、それに対して素直に「スゴい!」と
思えず、何か偉そうに、そして上司っぽく聞こえそうなことを言う人は
「自分が上」という優越感、プライドを崩されたくないからだろうか?


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相手の為を思っている風に装い、ちょっと遠慮がちに間接的に自分の願望(欲望)を
満たす表現をしていることって意外に多いのかもしれない。

ちょっと注意を向けてみると、いくつかすぐに見つかりそうな気がする。


善意の影に隠れた悪意


以前はそんなに気にならなかったのに、最近、こういうのに触れると、
本当に吐き気がするくらい気持ち悪くなる。


それはたぶん、自分がそうだったから。
もしかしたら今もそうかもしれないから。

ということに気づき、また吐き気がしてくる。

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ここだけは、いつも別世界だ。
6月16日
「ヘーックション」ってしてた

ヴィーナス問題

ミロのヴィーナスは両腕がない不完全な状態がゆえに完全な状態への想像力を刺激し、
有名な至高の芸術品となった。

不完全がゆえの愉しみ。想像は楽しい。

実は僕らの日常にもヴィーナスが存在する。

それは、伏字、だ。穴埋め問題、といってもいいかもしれない。

よくあるのは、キャンペーン等で「おかげさまで、○○周年!」
とかの○を埋めるやつだ。

そういうのはすぐに答えが分かるし、今イチ面白みがない。

それよりも、日常的にあるものを勝手に穴埋め式にしてみると意外に面白い。
どんなものでもよい。

例えば「カフェ○レ」とするとあなたはどんな言葉と状況を想像するだろうか。

・カフェタレ:これさえあれば、あなたの朝食もカフェ風だ。味は知らない。
・カフェモレ:だだ漏れかどうかが気になる。その前に何が漏れているのかが気になる。
・カフェクレ:「何になさいますか?(店員)」「カフェで(お客さん)」
・カフェバレ:「ねーねー、あれカフェじゃない?」「ドキっ!!(店主)」
・カフェトレ:DSソフト

いろんなものが出てくるし、適当な解釈がまた楽しい。

もう一つ。「健康セン○ー」とするとあなたはどんな言葉と状況を想像するだろうか。

・健康センコー:健康な先生
・健康セントー:健康銭湯
・健康センドー:健康な船頭さん
・健康コンドー:健康な近藤さん、、、いやいや、これは根本的に違う


どうだろうか。

デート中の気まずい沈黙も、長いミーティングのリフレッシュにでも、
相手をケムに巻きたい時にでも、身近なものを伏字や穴埋め式にするだけで、
一気に盛り上がること請け合いだ。

このような伏字・穴埋めにしその状況等を想像して遊ぶ、僕のような引きこもりがちな
人間向けの問題を「ヴィーナス問題」と呼んでる。

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ふんかくふん

おれって、わたしって、スゴくない?
ということをアピールしてくる、ちょっとうざい奴がいる。

そのアピールのさじ加減が絶妙な頭のいい器用な奴もいたりする。

だからかもしれないが、なんとなく僕はその人を苦手としていた。


たぶん、僕のこの気持ちが相手に伝わったのだろう。
なかなか話しかけてこなくなったし、必要最低限の会話だけに
なってしまっていた。

でも、今日その人が僕の代わりに僕が苦手としていることを
やることになった。

その人が率先して、というよりは、もうその人しかいなかった、
という消極的な理由からだ。

でもね、僕は正直にありがたかったので、
「ありがとうございます。本当に助かりました。」
と、伝えた。


その時だ。その人の表情がみるみる緩んで行くのが分かった。

本当に柔らかく、ステキな笑顔になった。


「ありがとう」


っつーのはあれだな。
本心からそのまま伝えると、本当に魔法の言葉になるなぁ。

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「文学部」の濁点を取ると、「ふんかくふ」となる。

前から読んでも、後ろから読んでも同じ読みになるじゃん!
と思ったが、なってなかった。

そして、濁点を取った意味が全くないことにも今気づいた。

あーれえー クルクルー

特定の人と仲良くなれたかどうかの判断基準は、
その人と「うんこ」という単語を言い合えるかどうかだと思うが
どうだろうか?

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そういえば今年に入ってCDを3枚購入した。
本当に久しぶりに買った。

前に買ったのはいつだったろうか、もう思い出せない。

今年買ったその3枚のCD。とてもよかった気がするんだけど、
どんな内容のCDだったかをうまく思い出せない。


その一方で、昨年の秋に行ったライブ。

今でもその時の状況を雰囲気も含めて思い出すことができる。


CDが売れなくなったとよく言われる。

一方で、富士ロックなど「ライブ」という形態は
いつの時代も長く人気を保っている。


約3000円で購入できるCDは、いつでもどこでも好きな時に
好きなだけ聞くことができる。
売る側にしても、簡単にコピーができ一気に大量に
市場に流通させることができる。

一方で5000円前後はするであろうライブは、
特定の場所まで場合によっては泊まりになりながらも、
チケットとは別に時間とお金をかけて移動しなければならず、
しかもたった1回しか聞けない。
そして、準備する側はその場その場の1回が本番であり
「大量」とはほど遠く、1回のその場を「手作り」というほうが
近いような形で一つ一つ作っている気がする。


このような文字だけで見てみると、作り手・買い手の両方にとって
圧倒的にCDが有利なように感じる。

でも、冒頭で書いたように、うんこと言えるかどうかが仲良くな、、、
間違った。

でも、冒頭の次くらいで書いたように、僕の中でCDで聞いていた曲は、
うまく思い出すことができないのに、半年くらい前に行った
その時のライブの状況はわりとクリアにいろんなことを思い出せる。

この違いはいったい何だろう?

ここにはとても大きなヒントになりそうな何かが
あるような気がしてならない。


先日発表されたiPhone。

アップル × ソフトバンク = ???

等式の右側にはどんな言葉が入るんだろうか。
とてもとても楽しみだ。
ワクワクだ。

海外にいる友人が iPhone を持っていたため、先日触らせてもらった。

とにかく、操作をしていているのが楽しく、心地よい。

一方で、先日発売されたドコモの 906i シリーズ。
会社の携帯を、SH906i にしてもらった。

これは、タッチパネルが搭載されていて、操作感を味わいたかったためだ。

味わった。

味わった結果、とにかく気持ちが悪い。
イラっとする。

作った方達には本当に申し訳ないけど、同じタッチパネルなのに、
どうしてこうも操作感が違うのか不思議に思えるくらい、使いづらい。

SH906i = 機能や操作を覚えるのに一苦労、イラっとする
iPhone = 楽しい、心地よい、直感的


この違いっていうのは何だろうか。

言葉にできる自信がないし、何かの言葉にした瞬間にウソに
なりそうな気もしないでもないのだけど、この違いというのは、
たぶん以下2点なんではないかと思った。

SH906i = 人が機械に合わせないといけない = 仕様中心
iPhone = 人に機械が合わせてくれる = 体験中心


これは、冒頭のCDとライブの違いにとてもよく似ている気がする。

Windows OS と MacOS の違いなんかもそうだ。


iPod や iPhone というデバイスを通して体験(ライブ感)を
市場に提供していたアップルは iTunes という音楽を
体験(ライブ感)する仕組みを用意し、仕様中心の企業が
得意としていたCDに該当するものの提供まで一気に塗り替えてしまった。

この「体験(ライブ感)」ということは、今後の商品開発の
非常に大きなヒントが隠されているように思う。

追記:これは、以前書いた「WEBの役割」という記事も見てもらえると嬉しいです。

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緑の中に栄える今日も白いあの人。ギリギリ写真に収めることができた。

6月10日
待ってぇ〜〜


カレーってさ、最高じゃね?

あんまり食べ物に対して欲求が強くない僕は、食事に対して本当に
こだわりがない。

吉野屋とかコンビニとかごはんにふりかけだけどか、そういうものが
続いたとしても全く苦にならない。

学生時代に初めて一人暮らしをして、自分でご飯を作るのは結構面白く、
ちょこちょこ手間のかかったもの等も作ったりしたが、それでも、食べる、
ということに関していえば、本当に雑なものだった。

すごく手間をかけたカレーを鍋一杯に作って、それを毎日毎日
鍋から直接スプーンですくって食べていたり、適当にうどんとかにかけて食べたり、
しまいにはそんなに温めもせずに適当に食べていた。


そんな感じなので、仕事などで遅くなった時などは妻にごはんを温めてもらうのも悪いし、
遅くに電子レンジをチンするのも、寝ているところを起こしてしまうと申し訳ないため、
ちょっと冷たくなったご飯でも平気で食べたりしている。

そんな僕を見かけると、いつも妻は「温めなさい!」と怒る。

なぜ怒るんだろう。

こっちは不満があるわけでもないし、気を使って温めなかったりしているのに
それが相手の不満を買っている。

なんて理不尽なんだ。

本気でそう思っていた。ついさっきまで。


今日、会社の人達と「離婚」ということについていろいろと話していた。

同僚(女性)の親しい友人(女性)が、先日離婚をした、という話から始まった。

ずいぶんと長い間会話が全くなく、旦那さんに何を不満に思っているか?
なぜ会話をしてくれないか?ということを聞いても
「そういう質問をする事自体が理解できない」と言われるだけで、
全く原因が分からなかったそうだ。

第3者の人が間に入ったとしても、旦那さんは上記の答えしかなく、
話が全く進まず離婚をすることになったらしい。

僕はその離婚した夫婦を直接は知らないため、なぜ旦那さんがそうなってしまったのか
何が原因だったのか、さっぱり分からない。

その同僚の女性からの話でしか分からない。

その中で、旦那さんが言っていたという「そういう質問をする事自体が理解できない」
というセリフが心にちょっと引っかかっていた。

同僚の人は、「言わなきゃ分かんないんだから、言えっつーの!」と怒っていた。
確かにそれはそうだ。

でも、なんか引っかかる。

なんだろ、この引っかかりは。

何となく考えるともなしに、家に帰り、いつものようにちょっと冷たいご飯を
温めずに食べ始めた。

その時、フといつも妻に怒られていることを思い出した。

彼女の「温めなさいよ!」という怒りは、何に対しての怒りなのか?

僕がそれほど食べ物に対して執着がないこと、なんでも食べること
どんな状態の食べ物でもほとんど不満を感じないこと、そういう人間で
あることを、彼女はよく知っている。

それなのに、なぜ怒るのか?

それは、もしかしたら、「ある状態をイメージして作った料理を、その状態じゃない
形で食べるということは、作ってくれた人がイメージしたことや、作ってくれたもの
そのものを否定している」ということになるんではないかと思った。

妻や義母さんが作ってくれた料理を、僕は相手のことを思いやっているつもりで
知らず知らずのうちに相手の考えや作ったものを否定するような行為をしていたのだ
ということにハッと気づいた。

善意のつもりの行動が、悪意を持った行動に映っていたんだ。


善意の仮面をかぶった悪意だ。


しかも、しかもだ。
「こんな感じで食べると最高の状態だよ」というのは、作った本人の口から
言い続けるのはちょっと違うだろう。

特別な料理とかなら別だが、特に日常的に繰り返されるものに対しては、
毎回言い続けるのは、その本人がつらい。

もちろん、言うこと自体があってもいいだろうが、頻繁に言うことでもない。

こういうところは、相手が何を大切にしているか、どういうこだわりを持っているか
何を譲れないと思っているか、どんなところに喜びを感じる人か、などを
日常の生活の中で、感じ取っていることで、相手が言う前に、その相手が
望んでいる状態を想像し、その状態を実現する、理解するということが
とても大切なんだろうと思った。

温めないで食べるということは、相手のことを鑑みず、結局自己中だということだ。

作った人はなかなかそのこと自体を言いづらいのだと思う。


そう考えると、「そういう質問をする事自体が理解できない」という
旦那さんのセリフは、料理を温めない僕を怒る妻と似ているような気がする。


それがいろいろと積もり積もって、問題の糸が複雑に幾十にも絡まり合い
もう訳が分からなくなり、どうにもこうにも解決できない溝が二人の間に
大きく口を開けてしまう。


そんなことを思いながら、これからは妻が寝ていても、
ちゃんとご飯を温めよう、おいしい時はおいしいと言おうと心に誓いながら
冷たいカレーを食べた。


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あなたの釣り針をあーんします。

6月9日
今日は白いシャツだね。

魔物が棲む場所

今日、帽子を買った。
とてもいい感じだった。

あんまりにも気に入ったので、家に帰ってきてからウキウキしてもう一度かぶってみた。
戦前の郵便配達さんという風情になった。よ!

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あまりにも日常にとけ込んでいることに、ふとビックリするようなことが
隠れ潜んでいることがある。

「灯台下暗し」と言うやつだ。

最近ビックリしたのは、いろんな公園にある動物の形をした乗り物達だ。

R0011953
やー。げんき?オイラは顔が割れてるよ!

小さい子供がいるので、休みの日はよく公園に行く。

そこで毎回のように子供が乗っかり、自分も乗っかっていた
彼らの表情がなんとも言えず、怖いと言うか哀愁でGOというかニヒルと言うか
平和なポカポカした晴れた昼下がりの中で、ひっそりとしている彼らが
とてつもなく、いい表情をしている。

R0011955
オレに乗んの?どうするの?うへへへへ。

上記2つのパンダ達は同じ公園にあるものだ。
随分と年期が入っているんだと思うが、平和の象徴っぽいイメージがあり、
かわいいみんなのアイドルであるパンダがちょっと言葉にするのもはばかれるくらい
気持ち悪い。

しかも、汚いし全身割れてたりするし。

なんども書いてしまい恐縮だが、平和なポカポカした晴れた昼下がりの公園だ。
その中で天真爛漫な子供達が遊ぶ道具が、ちょっと悪い感じの動物達なのだ。

どうだろうか?

どうだろうか?と聞かれても困るのもよく知っている。

でも、どうだろうか?


絶滅危惧種である「近所の怖いおじさん」の代わりを担うのは
もしかしたら、この動物達かもしれない。

そんな思いで、これからもいろんな公園の動物達を追いかけて行きたい。


R0011956
どっからでも来いや。げへへへへへ。

男前だったあの頃

いつも使っているえんぴつが、軽くすぎてなんだか疲れてしまうので
今日文房具屋に行ったら、ちょっと重いのがあってよさそう。

でも、まだやっぱり軽く感じる。

店員のおじさんに「ちょっと重いえんぴつないですか?」と聞いたら、
「えんぴつですからねぇ」と言われた。

そういうものなのか?

色鉛筆はそんなに頻繁に使う訳ではないが、普段は「マルチ8」というのを使っている。

1本のペンに8色の色鉛筆が入っているやつで、とても重宝している。

1色が1本になっているのも欲しいなぁと思っていたので見ていたら、
12本入りで、通常のものの半分くらいの大きさのがあった。

どこか外国のものっぽい。

200円だったので、「安いですね」と言ったら、「訳ありでねぇ」とのこと。

明確な返答が一切ないお店だ。
想像力を鍛えてくれる。

今度は、商品の値段を聞いてみよう。

「だいたいで」とか言ってくれたりすると一気にファンになりそう。


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娘(2歳)と横断歩道を一緒にわたる時に、「青になったらわたる」ということを
教えるんだけど、娘からは「青じゃないよ、緑だよ」と指摘を受ける。

確かに、信号機、「緑」だ。
今まで全く気にせず「青」と思い込んでいた。

これどうしたらいいだろう。

一般的には「青信号」と言われていると思うのだけど、どう見ても「緑」だ。

「緑だね。ただ一般的に信号機は「青信号」と呼ばれいているから、青で
いいんだよ。」と言うのもよく考えてみると、なんだか意味不明だ。

ようするに、呼び方を「緑信号」に変えるか、信号機の色を「青」にすれば
いいんだと思うんだけど、詳しくはわからないが、とんでもなく大変そうだ。

ちょっと調べてみてら、wikipediaに興味深い内容が載っていた。

信号機(wikipediaより引用)

・道路上において交通整理を行う色は世界共通で、緑・黄・赤の3色となっている
・一般的に赤・青・黄が色の三原色として理解されている
・漢字が「緑」と「青」を厳密に区別していない
・かつて日本人は「緑色」を「青色」と表現することがあった
・そのため、戦前、信号機が日本に初めて導入された際、マスメディアが「青信号」と表現
・それにより、一般的に日本人は「緑信号」を「青信号」と呼んでいる
・戦前、法令では「緑信号」だったが、戦後1947年に法令でも「青信号」に変更

なんと。本来「緑信号」というのが正しいようだ。
誤解というか解釈の違いが一般に浸透し、法を変え現在に至る。

ややこしい。。

なおさら、子供になんと説明すれば良いのだろうか。

いつの時も、子供の視点、指摘は正しい。


男前
「な。だろ。」という声が聞こえる。

こんぷーたー

僕らの生活や仕事を便利にしてくれるはずのコンピューター。

大きな期待を受けて、どんどん生活の中にとけ込み、社会の中の
隅々まで行き渡っている。

たった十数年前まで、携帯を持っている人もPCを持っている人も
ほとんどいなかったというのが信じられない。

それだけ日常にとけ込んでいるそれらコンピューターだけど、
どのくらい便利に豊かにしてくれたのだろうか?

特にインターネットというものに繋がっているこれらは
休みなく、何かを受け入れ、何かを流し続け、モニターの中は
年中無休で常に師走のアメ横なみに忙しく動いている。

そして、たった一つのクリックが、そのモニターの中に別の世界を
表現してくれる。

とこんな感じに書くと、なんだかスゴいことなんだけど、
これねー、本当に仕事にならない。

ついつい見ちゃうもん。いろんなところ。

繋がっている先が気になってどうしようもない。


電車の中で携帯で話している人がいたとき、気になって気になって
しょうがなくなるのと一緒な気がする。

同じ空間にいる人が、その人だけ別の世界と繋がっている。
それが我慢できないというかムカつくんだと思う。

知らない人達が周りに聞こえるようなボリュームの声で話していても
気にならないのに、携帯で話している人は気になる。

それはもう、繋がっている先が自分に分からない、ということに
対してストレスなんだろうなぁ。

これはなんなんだろうか。


想像にとどまってしまうけど、大昔、繋がっている先が見えないこと自体が、
あそこは危ないとか、どこそこにうまいもんがいっぱいある、とかの
生存に関わる情報源が入ってこないことに繋がるため、繋がっていないこと自体に
感じる不安感とか不満とかはDNAにインプットされているんではないかと思ってしまう。

だからこそ、「繋がる」という事自体は誰もが求める一つのキーワードとして、
これだけ多くのサービスを生み、商品を生み、研究がなされてきた。

でもね、自分にとっては、今ちょっと行き過ぎている。

パソコンを立ち上げた瞬間に、様々な「外と簡単に繋がる情報」が大量に飛び込んでくる。
全く消化できないくらい飛び込んでくる。

それこそ世界中の情報が簡単に集まり、いろんな人の興味深い話を見ることができ
新しい新鮮なものに触れることができる。

そしてそれらがまた無限に横に繋がって行き、そしてまた新しいものが生まれ、と
もう本当にきりがない。

情報の消化不良を起こしてしまう。


だから、僕は仕事の仕方を変えた。

今までは、最短距離でゴールに行けるように、様々な手段を使って、
自動的に入ってくるものを消化することに、力を入れていたように思う。

なんせ、入ってくる情報には限界がないし、そしてそれらをうまく
まとめてくれる、簡単に得ることができる為の手段がたくさん用意されている。


外から入ってくることを咀嚼する力(理解する力)をつける。
そのことが最短距離で成果を出せる方法。

だと思っていた。

それが今までのやり方だった。

今はちょっと変わった。

まず変わったのは、PCを立ち上げない時間をとにかく多く作った。
仕事道具はノートとペンかえんぴつ。

入ってくる情報は激減した。

その代わり、何かを生み出す(考える+作る)という時間が圧倒的に増えた。
便利で効率的な手段はほとんどなくしてしまったため、非常にアナログな
方法で時間もかかっている。

でもね、なんだか、これがとてもいいのだ。

例えば、企画を出す数やスピードという事自体は前よりもかなり減ったと思う。
でも、一つ一つの芯が強く太くなったような気がする。

まだまだ「気がする」という段階なので、よかったのかどうかは分からないが
「よさそうだ」という感覚はなんとなくある。


僕らの生活や仕事を便利にしてくれるはずのコンピューター。


それは主役ではなく、あくまでも何かをする為の手段でしかない。
ということを肝に銘じたい。

コンピューターに振り回されるか。
コンピューターを振り回すか。

おいらは後者でいたい。

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釣り堀の恋人、再び現る

6月6日
おちつくわー

※この写真は、会社の近くにある釣り堀、どんなに天気が悪くても
 たった1人でも、かならず毎日同じ場所にいるおじさんの
 ウォッチング情報です。


タイムマスィーン

電車の中で前に座っていたおじさんが、隣の若い女性に
カバンを持ち替えてぶつけたり、手を動かして肘をぶつけたり
していた。

謝りもしないし、あきらかにわざとやっている。

これは、あれか、新しいカタチの恋心の伝え方か?
と思っていたが、どうもそうじゃない。

その真面目そうな女性はじっと座って本を読んでいただけで、
非常に戸惑っていて、そのうちワナワナと怒りの表情が現れてきた。

とある駅に着くと、そのおじさんは立ち上がった。

立ち上がる際にもわざと女性にぶつかり、カバンをぶつけていた。

睨みつける女性。

立ち上がったおじさんは無言でその女性に近づき、
女性の頭に向けて手を近づける。

一瞬、その場に緊張が走る。

おじさんは女性の頭の近くで、頭に向かって指を指し、
そして手のひらを上に向けて広げた。


お前の頭はパーだ。


そう言っている。

それを受けて女性は、「おまえ・・・」と声に出したが
その言葉を待たずにおじさんはホームに降り立った。

僕も乗り換えの為、一緒にホームに降りた。

なぜこのおじさんがこんなことをしたのか。

気になって、そのおじさんの背中を追いかけた。

追いついて見てみると、おじさんも非常に苛ついた表情をしている。

そして、無造作に耳に指を突っ込みはじめた。

なんだ?と思い、注視していると、おじさんが耳から
乱暴に耳栓をとりだした。


やっと謎が解けた。

おじさんの隣に座っているその女性。じっと座って本を読んでいたが
ずーっとイヤホンをつけて音楽かなにかを聴いていたのだ。

その音が漏れていたんだろう。

電車の中で眠そうにしていたおじさんが、その音で寝ることができず
耳栓をしても、それでも聞こえてきていた漏れてくる音。

その音に対して怒り、その音を漏れ流していても一向に気にしていない
その女性に対して怒っていのだ。

一見すると、怒りをぶつけている人が悪者に見え、その怒りを起こしている
ヒト/モノ/現象に対して、目が向かなくなる。

しかも、今回は、

おとなしく真面目そうなじっと本を読んでいる若い女性 VS 乱雑っぽいおじさん

という構図だ。

その場にいたほぼ100%の人が、このおじさんに対して軽蔑の目を向けていた。

見た目の構図だけで、モノゴトを判断しちゃいけないね。と思った。

でも、音小さくしてって一言伝えれば済む話でもあったりする。
そう考えると、そのおじさんが悪者?

いや、何かの問題の原因が、ある一つの要素だけが100%悪いと行ことはない
ということなんだろうな。

・その場のその瞬間の構図だけで分かった気にならない
・問題が起きたとき、何か一つが100%悪い、ということはない

この2つが、おじさんと女性に今日教えてもらったことだ。

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そして今日も釣り堀はおじさんを受けれる

6月5日
いねーよ!!!

びっくりした。いつもそこにいる人やモノ。
それが突然なくなってします。

心にぽっかりと穴があいたような気がする。

ただただおじさんに書けてみるけど、おじさんなのにね。

今度はこの(たぶん)おじさんのことについてもう少し妄想を
してみたいねね。

シャーってして、ブリっ

坊主にしました。
愛犬に5分ほど威嚇され続けました。
娘(2歳)に15分ほど笑われ続けました。

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中学生の頃、野球部だった。

雪国だったので、冬はグランド一面が雪に覆われてしまい、
学校の中での筋トレや外でのランニングが中心になり、
ほとんどボールにも土にも触れない状態が数ヶ月続く。

部活動自体はそれほど好きではなかったけど、野球そのものは
とても楽しくやっていたので、早くグランドに出たい僕らがやっていたことは、
冬が越えたと思われる頃に、みんな家からスコップを持ってきて、
カッチカチに凍っている雪に突き刺し氷に割れ目を作り、うまく刺さったら、
少し持ち上げて氷と土の間になるべく空間を作ることだった。

一面雪のまま、雪が溶けるのを待つより、あちこちに割れ目を作った方が
雪が日光に当たる面も増えるし、温かい空気が雪の表面だけでなく、
割れ目から中に入って行くので、早く溶けていく。

割れ目を入れた後の溶けるスピードの早さは本当にビックリする。

そんなことを、録画しておいたNHKスペシャルの北極の地下資源開発の
ドキュメンタリーを見ていて思い出した。

なんでも北極の地下資源は、まだ未発見である地球上の資源のうち
約4分の1という大量の資源が眠っているそうで、各国の開発権争いが
激しいらしい。

中でもロシアのどん欲さがすさまじいらしく、いかに効率的に効果的に
北極の氷を割りながら進むことができる船を作れるか?ということを
追求しているそうだ。

がんがん氷を割っていた。

余計に溶けるんじゃない。氷。


それと、もっとビックリしたのが、北極の地底に勝手に旗を立てて、
ここオレん家ってやっているようだ。

・授業中寝るな!
・人のものを勝手に取るな!
・順番を守れ!
・相手の気持ちを考えろ!
・スカートめくるな!
・好きな子の笛舐めるな!
・人の話を最後まで聞け!

みんな小学生の頃に注意されて怒られていたことだ。

頭のいい人達は、良すぎて良すぎて一回転して
子供のようになってしまうのだろうか。

「良すぎる」っていうのはまた考えものである。

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今日、絵に描いたような酔っぱらいを見た。

なんと言えばいいか、酔っぱらいとしてほぼ完全体だった。

欲を言えば、ネクタイだ。
ネクタイがちょっとしっかり締まりすぎていた。

でも、僕らが昭和の時代に漫画やテレビで見たような
懐かしい感じの酔っぱらいだ。

ヨレヨレになったスーツ
ズボンからだらしなく出てしまっているYシャツ
お寿司のお土産にも見えたうっすいカバン
赤く上気したほっぺ
寝起きか?と思えるほどボサボサになってしまった髪の毛
ちょっと内股で華麗なまでの千鳥足

そのフラフラ加減があまりにも見事で、たぶん映像で取って
ちょっと加工して早送りするとスキーの回転競技になると思う。

-----

最近気づいた肉体の変化がある。

ウォッシュレットの力を借りないとうんこが出ないのだ。

シャーってして、ブリっとする。
ジャーってして、ブリリっとする。
ジョワーってして、ブリっブリリっとする。

だんだんダメなヒト科のイキモノになっていく。


ザ・ブリリアントブリーン

おしい。

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そんな中、今日も愛しき人はいつもと同じ時間の流れの中にいる。

6月4日
見事なまでのポールポジション


愛しいヒト科

え!なんで!?なんでそこなの?どうしてそうするの?

なんつー、自分ではよく理解できない人の行動ってたくさんある。

仕事でも、遊びでも、ちょっとした文章や文字のカタチや
つぼに入るポイントや性癖などなど。

他人になんと思われようが関係ない、これは譲れない、
と人が思っているポイントを垣間見ることができると、
楽しくて楽しくてしょうがない。
その人のことをもっともっと知りたくなる。

たぶん、そのポイントというのが、その人らしさとか
その人の空気感とか個性とか言われるものを作っているんだろうか。


最近、とにかく気になる人が一人いる。

会社の近くの釣り堀に毎朝必ず同じ時間に同じ場所にいる人がいる。

それこそ、天気が悪かろうがなんだろうが。

いっつも同じ場所に座って、ずーっと釣りをしている。

道路側に背を向けるように座っている(たぶん)おじさん。

これからも毎日あなたのことを追いかけたいと思います。
いつかお話ししたいなぁ。

R0011919
今日も雨の中ちゃんといた


気になることと言えば、もういっこ。

2歳になる子供が今保育園に通っているんだけど、そこで同じクラスの子や
近い年齢の子供達のことを、全部ひっくるめて「お友達」と呼んでいる。

誰でも彼でも「お友達」と呼ぶ。

どうやらこの保育園だけでなく、今はどこでもそうみたいだ。
そしてその流れは、お母さん達にも広がっている。

初めて行く場所なんかで、初めて会う子供とか、
たまたまそこに居合わせた子供に対しても、ほぼ全員が「お友達」と言う。

「お友達に貸してあげてね」とか「お友達と仲良くね」とか
「お友達と一緒にね」とか。

正直に言うと、本当に気持ち悪い。


友達って、そんなに安売りの大量生産ができる単語ではないはずだ。

オトナと言われる人達は経験的に知っているはずだ。
知り合いじゃなく友達って呼べる人は100人なんてできっこないし
数人いればいいほうだ。

1人も本当の友達と呼べるような人がいない、という状態であることも
普通にあるはずだ。


それなのに、なんで、今のオトナ達はこうも簡単に「お友達」という
単語を乱発するんだろう。

なんでなんだろうか。


これは、オトナに取って都合がいい単語、ということなんだろうか。


とここまで書いといてなんだけど、明日また考えてまとめよう。

頭でっかち

思い返してみると、夢中になるものや長く趣味として続いているものに
共通点が一つある。

それは、「理論は後回しにして、まずはやってみる」ということだ。

野球を始める時に、ルールブック見て覚えてからボール投げないでしょ。

プログラミングが好きな人なんかもほとんどがそうだと思うけど、
自分で書いたコードが目の前で動く、という事実が面白くてやっているわけで
分からないことがあった時や、少し経験を積んだ後に理論をつまみ食いしたり
体系的に学んだりしていると思う。

もちろんサッカーもそうだと思うし、ゲームなんかも、簡単に操作方法とかは
見るかもしれないけど、とりあえずやってみることから始まることが
多いと思う。

学校の授業はつまんないけど、でんじろう先生の授業はとても面白いのもそうだ。


つまり、「理論は後回しにして、まずはやってみる」ということは
人が何かを始める際にとても大切なことであるはずだ。


でも、ふと周りを見回してみると、効率化する為の○○の方法とか
スピードアップの○○法とか、ライフハックとか、うまいく管理術とか
そういう本がとんでもなく溢れているし、売れている。

そういう本は、その本を書いた人達が「理論は後回しにして、まずはやってみる」
ということを繰り返し、後で理論的に体系化したものであって、
その書いた人達だからこそ、とても効果を発揮するものなのだ。

だから、そこにあるものを真似たとしても、たぶん、身にならないだろうし
効果は少ないのではないかと思う。


そんなとき、僕のような人間にとって、どんな本が一番よいかと言ったら、
「まずはやってみる」を後押ししてくれるような本だ。

最近、とんでもなく面白かったのが菅原 一剛さんの
写真がもっと好きになる。 菅原一剛の写真ワークショップ。
という本だった。


菅原一剛さんは第一線で大活躍している方だけど、この本の中に
技術的なことはあんまり出てこない。

でもなんというのだろうなぁ。
読んでて本当に楽しい本だったし、なによりも写真って楽しそう
写真撮りに行きたい、って強く思える本だった。

そして何よりも、菅原さんの写真って楽しいよ、という気持ちが
僕の心に本当に伝わってくる。

写真とかカメラをやるにあたっての、一番大切なことが
この本の中に大切にしまってある感じがする。

特にこれから写真やカメラを始めようかなぁと思っている人は、
絶対にこの本から読んだ方がいいなと思った。

僕自身はカメラや写真はもう13年くらいになるけど、こういった本に
もっと早く出会いたかったなぁ。

写真でカメラで迷った時に、最後にたどり着く本になりそうだ。
ガンガン売れて欲しい本だと思った。


ちなみに、以下はこの本を読んでから近所の公園に撮りに行った写真です。

日だまり
R0011903

面白くないブログ

例えば、このブログ。
面白くない。全く面白くない。

なんで面白くないんだろう。


やっと分かった気がする。

周りの人に何も伝えられるようなことを持っていないのに
そういうことができる人と同じようなことができるんじゃないかと勘違いし、
できる人っぽく書こうとしていた。


今更何を。と自分で自分に何万回も突っ込みたくなるが、
でも、そういうことだ。

もともとない実力を、自分で過大評価していたんだ。
よりよく見せようとしていたんだ。

勘違いでしょうもない見栄っ張りだ。

去年の年末から今年の3月までかけて、少しあって、
それがきっかけでいくつかのことに気づくことができた。ような気がする。

その一つがこれだった。

勘違いでしょうもない見栄っ張りだ

それが分かってから更新しなくなった。


面白くないブログのたぶん典型であろうこのブログの特徴は

・自分のことをよりよく見せようと無理している
・表立ってみせないけど、自分のことをちょっとスゴいと
 どこかで思っていて、それがチラチラ見えるブログ

つまりあれだ、

・無理系
・勘違い系


そこまでしてブログはなんでやるのか?と聞かれると答えには困ってしまうのだけど、
誰かに見てて欲しいとかそういうのだと思う。
人のつながりの部分をこんなカタチでもちょっと持っていたいとそう思っているんだと思う。


伝えられることは何もないのだから、ただただ感じたことを
ダダ漏れのようになるかもしれないけれど、
そうやって書き流して行くしか方法はないのだよオレはよ。

誰も見てくれなくても
できることを精一杯やる。


それしかないっつーことなんだろうなぁ。


あー、しかし、くらいなぁオレは。

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