それは晴れた日の曇った喫煙室の中での出来事。
友人の唐突な質問から始まった。
「色気ってなんだと思います?」
ん?色気とは何か?わからん。
その場は、その人とあーでもないこーでもない、となんとなく分かるが、言葉にできない「色気」について一生懸命言葉を探した。
ただ、そこでは「こんな感じ?」「あんな方向性で」とか全く持ってよくわからん抽象的な話で終わってしまった。
それからだ、僕の中での色気の定義探しが始まったのは。
会う人、会う人に「色気って何だと思います?」と聞きまくる。
聞いてみると、みんなの中でおそらく共通の認識はあるんだと思うが、それを言葉にしようとすると、なかなか明確なものが出てこない。
そこで、似て非なる「いやらしさ」との違いについて考えることにしてみた。
みんなに聞いてみて実感したのは、「色気」と「いやらしさ」の明らかに違うけど、言葉にしようとするとごっちゃになることが多いということ。
たぶんここははっきりと分けないといけないところだと思う。
「ちょいワルオヤジ」と「エロオヤジ」は違うし、「ニラ」と「ネギ」も違う。
ましてや、「深谷の陣屋のねぎみそせんべい」と「熊谷の梅林堂のねぎみそせんべい」と「行田の十万石のねぎみそせんべい」はパクリかもしれないが違うし、「鈴木ヒロミツ」は「ムック」ではないのである。
「色気」と「いやらしさ」も同じく似て非なるものなのだ。
ここをはっきりさせることができれば、おのずと明確に「色気」について定義できそうな気がする。
いろいろな人と話をしている中で思ったのは、「色気」には一種の「神秘性」に似たイメージが含まれているということと、「いやらしさ」には「エロス」という意味が含まれているということだ。
そして、両方に共通しているのは、「覗く」とか「見てしまう」とか「見えてしまう」とかいう、暖簾のようなフィルターがあると言うこと。
そこでこのように定義できるのではないかと。
・いやらしさ → 体の隙
・色気 → 心の隙
あくまでも肉体的な性について、隙を見せて、または見えている(ようにしている)のが「いやらしさ」であり、
オフィシャルな場でみせているのとは違う本来の自分の心を見せている、または見えてしまうのが「色気」ではないかと。
普段の顔とはちょっと違う、その人の本心が見えてしまう行動や仕草であり、しかもポジティブに感じられるようなものが、「色気」に繋がるのではないかと思った。
それを考えると、よく言われる(よね?)舞妓さんの首筋とかは、「色気」というより「いやらしさ」なのかもしれない。
そして、もう一つ考えないといけないのは、「色気」の「多い・少ない」だ。
あの人のほうが色気があるとか、ないとか言われるときの「色気の量」というのはどこで決まるのだろうか。
たぶん、この「心の隙」からみえた、その人本来の姿が、普段見えている姿とどのくらいポジティブに感じられるギャップがあるか。なのではないかと思う。
ポジティブに感じられるギャップの大きさが、「色気の量」を決めているのではないか。
と、ここまで書いて、「色気のない人」ってどういう人かということが気になる。
この考え方で行くと「隙がない」人のことになる。
ただ、この「隙がない」というのは、2つのパターンがあると思う。
「心を完全に閉じている人」と「心を完全にオープンにしている人」の2つだ。
「心を完全に閉じている人」は、たぶんコミュニケーションが取れない。
「心を完全にオープンにしている人」は、たぶん一緒にいてとても楽しい。
そろそろまとめを。
「色気」は「心の隙」を表す。
「心の隙」は「普段見せない、本当の姿や本心がフっと見えるポジティブに感じられる仕草」のこと。
つまり、「普段見せている姿」と「本当の姿やキモチ」との「ギャップ」のこと。
そして、その「ギャップ」の「大きさ」が「色気の量」に比例する。
そんな感じだ。
と言ってみても、半年後には違うこと言っているかもしない。。
ちなみに、色気が多い人と、心を完全にオープンにしている人と、どちらが好きですか?
僕は両方好きですが、何か?
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