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愉快議 ~実践塾~

あうあう

Google サジェストが提供されていた。

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世の中には、たっくさんの知らない言葉や文章、検索ワードがあるということを
知ることもできてとても楽しい。

ためしに、「あうあう」と入力してみたらこうなった。
あうあう

もう、あれだ。全部が気になる。

その中で一番気になった「あうあうあ~」をクリックした。

検索結果のページを下まで眺めていたら、関連検索でこんなのが出てきた。

あうあう尻

あぁ。これもすごいよ。
どうしよう。

その中で、「尻忍者」という単語にちょっと興奮する。
しかも「あうあうあ尻忍者」ってなんなんだ。

で、見てみた。よく分からなかった。

「尻忍者」を「ケツにんじゃ」と読むことは分かった。

「あうあう」が「ケツにんじゃ」につながった。

Googleスゴイ。

優先席ってどうしてあるんだろ?

愛知県の地図があります。

aichi
こういうのです


これを見ていたら、こんな感じに見えました。


aichi_2
ウヒャヒャヒャ!


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選択と集中という言葉がある。

やることを絞り、そこに対して労力や資産を集中させ
事業効率や効果を最大化させよーぜ!というやつだ。

時間が100時間と予算が1000万円あったとする。
それを10個の事業に10時間ずつと100万円ずつを分散させるより、
2個の事業に50時間ずつと500万円ずつ投入すれば、その2個の事業の
成長を最も効率的に効果的に最大化できる。

「事業」という大きなくくりじゃなくても、日常的に
行っている仕事でも、いろんなものを平行しているのが
普通だと思うけど、うまくいかない時の理由として
かなりの割合を締めるのは、「時間が足りなかった」というやつだ。

これも、「選択と集中」という考え方からいうと、
最も効率が悪く、効果が出にくい方法だから、なるほど、と思う。


でも、これって本当にそうなんだろうか?

前は僕も本当にこう思っていたのだけど、実は最近反対のことをよく思う。

何かの効果や結果というものは、投入した時間やお金の量で決まらない、ということだ。

と、書いて何を当たり前な、と思ったんだけど、でも、そういうことは
何となく感覚として知っているのに、でも選択と集中を訴えることが多かったりする。

何かの効果や結果というものは、投入した時間やお金の量で決まらない
ですよね??

もう一つが、ある一つのことを集中してやるより、複数のことを同時並行的に
やるほうが、実は効率も効果も高そうな気がする。というかそういうことを最近実感する。

これは、脳科学者でもない僕が言えることではないし、はっきりしたことは
わからないのだけど、いろんなことが平行している方が頭が働くと言うか
なんと言えばいいのだろう、脳の中や身体の中にあるいろんなところがネットワークの
ように繋がる感じがする。

根拠も何もないのが非常に悔しいのですが、ホントそう思う。


とここまで書いて、これって電車にある優先席とかに近いなぁと思った。

選択と集中というのは、ようするに「やることをはっきりさせる。他のことは考えなくてもよい。」という状態になる。

事業に置けるTODOリストというか、ルールというか。

電車にある優先席というのも、「この席には○○の方が優先的に座れます」という
決め毎というかルールなわけだ。

この一つのルールのおかげで、あんまり考えなくてもいいし、みんなに優しい感じがする。

でもね、先日こんな人を見た。

ちょっと混んでいる電車の中で、優先席じゃないところに、高齢の方が来た。

高齢の方は足が悪いのがよくわかる。
杖もついているし、手すりにつかまりながら、座席の前に来た。

目の前の席には、若いお兄ちゃんが座っている。

その時ね、そのお兄ちゃん、
「なんでオレの前に来るんだよ。優先席あるんだから優先席のほうに行けよ。」
っつー顔をしたんです。

いや、もちろんホントかどうかわからないけど、そんな顔をした気がした。

結局そのお兄ちゃん席を立たず、違う席の人が立ち上がってその高齢の方に
席を譲りました。

これね、別にそのお兄ちゃんを責めたい訳ではなくて、なぜそのお兄ちゃんが
そういう態度に出たか、ということをちょっと考えてみたいなと思った。

何かをすっきりと整理する、分ける、決める、やることを決める、
やらないことを決める、ということは往々にして仕事の中では重要視される。

上記の「選択と集中」なんつーのもそうだろう。

でもね、そうすることで、さっきのお兄ちゃんのような人が出来てしまわないだろうか?

そのルールに安住して、想像力が不足し、優先席じゃないんだから譲らなくてもいい、
という都合の良い勝手な解釈を生む。

一見、便利そうで分かり易そうなことが、実は大きな弊害を生む。

なんだかそう言うのを垣間みた気がした。

だからね、優先席というのは無い方が絶対いい。と思うんだけどどうなんだろ。

車両のどこであろうと、足が悪そうな人には席を譲る、ということが
当たり前にならなければならん訳で。

選択と集中。

これダメな気がする。

なんだか話がそれてきてしまった気もするけど、それてないような気もするので、いっかな。

岩手の長老

知り合いの女性が岩手県の形に似ているという事実に驚愕している。

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「24時間耐久葉っぱむしりゲーム」というのがあったとする。
葉っぱを24時間むしり続けるのだ。
24時間たった段階で、一番むしった数が多い人が優勝だ。
むしるのを5分止まったらアウトで脱落してしまう。

とてもつらそうな競技だな、と思った。

でも、一番つらいのは選手じゃなくて、5分間止まっていないかどうかを
チェックしている人だ。

ということに思いを馳せる。

何人かでドライブに出かけたときに、運転手が一番疲れる、という印象があるが
実は助手席に座ってナビをしていたり、ずーっと座っている人のほうが疲れる、
ということに通じる。

主役が主役足り得ることをサポートするコト・モノ・ヒト

そんなコト・モノ・ヒト達ばかりを調べてみたい。

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今、数ヶ月かけて行う社外研修に参加さてもらっている。

毎月、泊まりの研修があり、間に面談も宿題もある。
結構なボリューム感のある研修だ。

結構な金額を会社が出してくれて、参加してみない?と声をかけて
もらったので、来たボールは全て打てるようになりたいと思っている僕は、
ありがたい話だと思い、参加させていただいてる。

そこでは、若手のリーダーの育成や将来の経営陣を育成する研修とのことだ。

毎回とても興味深く参加させてもらっているのだが、どうしても
講師の先生と意見が合わなかった箇所がある。

それは、リーダーや経営陣には「エネルギーやパワー」が必要だという
主張に対して、僕は疑問を感じてしまったのだ。

「力強さ」のようなものだと思うのだが、果たしてそれは本当に
リーダーに必要なんだろうか?

いや、正しく言うと、「力強さ」が第一義ではないように感じるのだ。

だって、野球で言ったら、エースで4番を打つような人がキャプテンを
やるべきだ、という主張と同じように感じる。

極論だけど、「太く・短く生きる」ということであれば、よいかもしれないが、
それよりも「細く・長く生きる」ということを大切にしたい場合には、
「力強さ」というのは必ずしも必要としない気がする。

キャプテンをやれる人、というのは必ずしもエースで4番である
必要な全くない。と思うのだ。

研修の講師の人とは、ここで意見がぶつかってしまう。

「力強さを持っている人」よりも、「力弱さを知っている人」のほうが
圧倒的にリーダーに向いているような気がする。んだよなぁ。

すぐにイメージが湧くのは、「長老」のような人達だ。

リーダーになるには年を取らないとなれない、と言っている訳ではなく
「長老」と言われている人達は、「力弱さを知っている」ような
気がするんだよなぁ。

だから、弱さについて考えるし、少ないパワーで効果的に継続して
生きて行ける、続いて行けるということに知恵を絞るような気がする。

「太く・短く」ではなく「細く・長く」ということを大切に
しているような気がするし、企業においてもそれは当てはまる気がする。


くるんではないだろうか?「長老ブーム」

ヘルペスハック

塩キャラメルがおいしくて、この3日ほど毎日1袋ずつ空けている。
だけど、僕の周りの人は誰一人共感してくれない。

これは、純粋に好き嫌いの違いなのか、僕が嫌われているのか。

もう少し、リサーチ(オレ調べ)をしないといけない
トッププライオリティの問題となり始めている。

こんな時に使うといいのだろうか。ライフハック?

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めったに夢を覚えていないのだけど、先日こんな夢を見た。

「ちょっとぉ~、だぁんしぃー」と叱られたい、と思った夢だ。

叱られた夢、ではなく、叱られたいと思った夢、だ。
しかも、叱られるのは「男子」であって、僕だけではない。
「僕を含めての男性数人」ということだ。

結構複雑だな、と思った。

夢が意識を持ち始めているんだろうか?

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複雑と言えば、こういうのも複雑だなと思った。

ホンモノに似せたニセモノに似せたホンモノに近いニセモノ、だ。

食品に似せた食品サンプルというニセモノに似た食品の形をしたお菓子、とか。

一回転して、同じところに止まるかと思ったら、「ほらーずれたー」と
言われるような着地点のものだ。


もしかしてどうでもいいことを書いているんではないか?と思い始めている。

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先日唇の横にヘルペスができて、けっこう目立っていた。

娘(2歳)が、気になるらしく、「どーしたのー?」と聞いてきた。
「なんだと思う?」と聞いたら、彼女の答えはこうだった。

「地震?地震?」

だった。

しかも2回も。

相当自信があったのだろう。
※うまいこと言った。と思っている。

こういった発想力を僕も持っていたいな、と思った。

これがライフハックというやつか。

「分かりにくさ」のススメ

中国、ハンパない。
って話をたくさん聞いてきた。

公然の事実として、僕らでもよく知っているような、汚職問題や
環境問題などなど、モラルもへったくれもない私腹を肥やすことのみに
命をかけている命のかけ場所を掛け違えている政治家達。

そんな話をたっぷり聞いてきた。

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「分かり易さ」ということについて、時々困惑することがある。

人が何かに対して「面白い」とか「気持ちいい」とか「欲しい」
とか感じることは、突き詰めると、非常に感覚的なものになる。

例えば、野球をやったとして、ピッチャーが投げたボールを
おもいっきり振ったバットの真芯で捉えた時の感覚というのは
なかなか言葉に表現できない。

例えば、プログラムを書いて、それが思ったように動いたときの
感動や喜びというのは、「コードを○○行書いたものが動いたから嬉しい」
というものではなく、純粋に「自分で書いたものが動いた!面白い!」
ということであって、何か言葉や数字で表現できるものでもない。

でも、そういう感覚的なことを、企画書の中では言葉や数字を使って
誰にでも分かるように表現することが、よく求められる。


以前一緒に働いていたある方に、いくつか企画書を提出した際に
こう言われたことがある。

「面白いんだけど、ロジックがねぇ」

それは、スタートからゴールまできれいにロジカルに説明できる
必要があり、それが足りない、ということだった。

つまり、1+1=2というような誰でも分かるロジックを付けて欲しいと。

早い話が誰にでも分かるように、何が良くて、どんくらいコストがかかって
そのコストをどんくらいで回収して、ここまででこんくらい儲かりますよ。

ということをロジカルに説明して欲しいと。

提案していたその企業は、大きな会社だったし、
決済に関係する方の数も多いし、年齢も幅広い。

企画書の中で、言葉と数字で関係者全員が納得できるような
そんな企画書にして欲しいということだった。

その企画については、その時点でボツにしてもらった。

なぜかというと、誰でも分かるようなロジカルな説明、
つまり言葉と数字で説明できる自信が僕にはなかったからだ。

ボールをバットの芯で捉えた時のような感覚を、
言葉と数字では表現できないと思ったからだ。

もしかしたら、それに合わせてマーケティングデータを
なんとなく都合のよさそうにデータを加工し、見え方を工夫
すればよかったのかもしれない。

その時の担当の方からも、そう言われてもいた。

でも、それはその時点で、ウソを付くことになる。

みんなそうしている、とその人は言う。

そうかもしれないけど、なんとなくイヤだったのだ。
その企画はとても大切にしたいものだったし、そこでダメでも
別のところに持って行こうと思っていた。


でもね、今思えばこれは、完全に僕の力不足だったということが
よく分かる。


誰も分からないような、思いや考えや感覚というものを
それをウソをつかずに、何かしらのカタチで表現し、
相手に伝えることができ、そして共感を呼ぶことができる人が
たくさん存在するというのを知ったからだ。

そう言う人達は、「分かり易さ」のみを重視しているのではなく
「言葉や数字でぴったりなかなか表現できないんだけど、面白い」
と思えることを、何かしらの形で分かり易く表現することができるのだ。

それが本物の技術であり、本物のアイデアであり、本物の企画力だったりする。

僕にはその「本物の○○」がなかっただけだった。

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落合博満変人の研究」という本を読んだ。


胸が、なんだか熱くなった。
熱狂的な野球少年だったが、この5〜6年くらいは全くと言っていいほど
野球を見ていない。

今どんな選手が活躍していて、どのチームが強いのかもほとんど知らない。

本当に野球関連の情報は入ってこない生活を送っている。

そんな感じの僕だが、この本を読んで野球少年だったころの
狂ったように野球ばっかりやっていた頃のことを思い出した。

また、野球に触れたいと思った。


本の内容はタイトルにもあるように、落合博満について書かれた本だ。

一般的に嫌われ者で、常にダーティーなイメージのあり、
最も監督から遠いと思われていた落合が中日ドラゴンズの監督になり、
日本一位にまでなった。

野球エリートばかりのプロ野球界において、全く異質な経歴を持ち
独自の方法で進み、周りと対立しながらもしっかりと結果を残し続けている。

そんな落合について、熱狂的な野球ファンの詩人のねじめ正一が
いろんな人達の対談や自分の言葉で詩を編んでいるような本だ。

とにかく面白かった。


人気凋落が激しいプロ野球の中で、唯一面白く見ていることが
できる落合。

異端児というイメージがあるが、実は純粋に
・投げて
・打って
・取って
・走って
という面白さの原点を大切にし、その気持ちをじっくりと育て
その中で選手達を鍛え、育てているということがよく分かる。


プロ野球は、とにもかくにも価値を決めるのが「お金」という
一つの基準だけになってしまい、お金のある巨人が大金をばらまいて
有名選手を集める。

そんな手法がまかり通っていることが、野球本来の魅力をなくし
結果として、人々は野球から離れて行ってしまう。

野球を楽しみ、野球で勝負するのではなくなってしまっているのだ。

その原因を作ったのは、落合、という印象があったが、
それはこの本を読んでみると、印象とはまた違った事実が分かってくる。

野球が本来持っている楽しさ。
それは、なかなか言葉や数字にするのは難しい。

でも、落合は自分のプレーで、そして監督として選手にそれを伝え
そして中日は強くなった。

方や他の球団や選手は、誰にでも分かり易い「お金」という評価軸が
幅を利かせ、野球の面白さ、ということは2の次になってしまった。

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本当に大切なこと、面白いことは非常にシンプルなことなんだと思う。
そして、そのことはなかなか言葉や数字に表すことは難しいことだとも思う。

その中で、分かり易さを重視し「お金」を中心にモノゴトを組み立てると
本当に大切なことが崩れてしまう。

だからこそ、言葉や数字に表すことが難しい「本当に大切なこと」を
大切にし、それをしっかりと表現し伝えることができるようなプロに
なりたい。


そして、野球の面白さ、落合の面白さという感覚的なことを、
言葉でこれだけ表現できるねじめ正一さんは、本当に本当に
言葉のプロだなぁと思った。
※お前が言うな、ではあるけど。


と、そんなことを思った一日だった、ような気がする。

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ヒトカラ=ヒトデが干涸びる

ということかと思ったら、「1人でカラオケ」のことを
「ヒトカラ」と今のヤングは言うらしい。

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木漏れ日ちゃん
R0011876


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